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青空に咲く、向日葵のように。

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母ひとり子ふたりの団地暮らし。

無事に引っ越しを済ませ、母ひとり子ふたりの団地暮らしが始まりました。上の子の通う中学校は前の家から通うよりも近くなり、徒歩での通学に。一方下の子は今までと同じ校区に市営住宅がなかったので、となりの校区になりました。小学生が徒歩では通学出来ません。そこで朝は私が小学校まで車で送って行き、帰りは義母のいる家にスクールバスで帰り、私が仕事終わりに迎えに行くまで預かってもらいました。仲は悪くなかった義母とはいえ、隣に元夫が住んでいる家に迎えに行くのはなんともいえない気持ちでしたが、あと2年、小学校を卒業するまではしょうがなかったのです。私の仕事時間に間に合うように登校させるので、かなり早い時間に同級生たちが投稿してくるのをポツンと待つことになります。実家が近ければいいのですが、あいにく遠く近くに頼れる親戚もいないので仕方ありません。

学校帰りに友達と遊ぶので自転車も義母宅に置いてありました。離婚の前後の下の子が4年生の頃、友達に恵まれ放課後は毎日自転車で近くのコンビニの駐車場で待ち合わせては暗くなるまでグループで遊んでいました。あの子の友人関係が絶好調の時に、両親の離婚と住み慣れた場所からの引っ越しを味わったのです。それまで住んでいたところは海沿いの小さな村でした。夏休みは毎日毎日暗くなるまで泳いでいました。そんな大好きな場所から引っ越して、周りに誰も知っている人がいない場所での暮らしが始まったのです。

何ともないといいんですけどね。〜意味深な先生のコトバ〜

下の子の担任に離婚と引っ越しを伝えた時、「〇〇ちゃんがなんともないといいんですけどね。」と意味深な言葉を言われました。私は「え?なんともないですよ?」「それならいいですけど。中学校にもうちの小学校出身の子の不登校多いんですよ。」「え〜。そうなんですかぁ?」

今思えば、何人もの生徒さんを見てきた先生たち。多感な時期に環境が及ぼす影響が少なからずある事をたくさん見てきたのでしょう。

数年後、それは現実になるのです。自分の周りの環境の激変になんとか合わせようと、小さい心と身体で無理を重ねてきたことが少しずつ、我が子の心を壊していきました。

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