プロフィール
きらりん革命をフォローする

親はその身を持って、子供に人生を教える。

3週間おきの通院。お楽しみは。。。

父が退院してからは3週間に一度の通院になり、弟と、弟のお嫁さん、私が交代で病院に付き添いました。大きな総合病院なので血液検査から診察まで色々なセクションに回され、かなりの時間待たされました。健康な私でも疲れますから、病人にはこたえたと思います。いつも家に帰った時にはフラフラになって玄関にヘタリ込んでいましたから

朝一から昼過ぎまで掛かってようやく診察がおわります。そのあとはお楽しみ、毎度恒例の昼食。病院からの帰り道にある昔からやっている懐かしいカツ丼やさんに寄ってカツ定食を食べるのがお決まりでした。病院ではフラフラしながら車椅子で移動している父ですが、このカツ屋さんに行く時だは、車から降りてさっさと歩いて行くのです。気を張っているのかもしれませんが、こっちはいつ倒れるかと思って「お父さん、ゆっくり歩きねや」と声を掛けながら急いで父に追いつき腰に手を添えるのです。

カツが3枚のったカツ丼にお味噌汁、お漬物付き。50代にしては大食いの私でもやっと食べる位の量です。父は1枚か調子の良い時に2枚、残りはお持ち帰りしていました。しかもうちの子二人分(社会人と大学生)と、甥っ子、姪っ子の分(二人とも社会人)4人分のお持ち帰りも注文してくれて。。。かつ恥ずかしいかなお会計は母。父にも母にもいつもなってもお世話になりっぱなしでした。私に出来ることは車を出して病院に付き添うことくらいです。お父さん、お母さん。トリプルワークのシングルマザーですみません💦

そんな3週間に一度の健診を何度繰り返しただろうか。

何と⁉️ 私がコロナに罹患。。。💦

去年の夏はとりわけ暑く、本業の休日もトリプルワークで休みなく働いていた私は、元々疲れが溜まっていて抵抗力がなくなっていたのもありコロナに感染してしまいました。連休とかの人出の多い時に声を掛けてもらっている観光地にあるお土産屋さん。コロナが5類に移行してからやたらめったらいつものお盆みたいにお客さんが来て、品出しとレジの補助をしていた私はしっかり感染してしまいました。思い当たるところはここしかありません。マスク、うがい、手洗い、かなり気をつけていたとは思いますが、働きすぎの50代、抵抗力は皆無だったみたいです。😭😭😭

幸い呼吸が苦しいとか、咳が出るとかはなく、熱が38度後半まで出たり下がったりを3日ほど繰り返した位で済みました。ただ隔離期間が終わってももしものことがあるといけないので、次の健診は弟に頼みました。甥っ子(弟の子供)も本業のほかに居酒屋さんでダブルワークをしているらしく、20代の彼も私と同時期にコロナに感染していました。若くても無理は禁物ということですね。抵抗力を上げるためにも身体には適度な休養は大事です。

この時の健診は弟と弟のお嫁さんもついて行ってくれたのですが、父は身体に全然力が入らなかったらしく、病院で車から車椅子に移動させるのに大変な苦労をしたそうです。ほんの1ヶ月前までは弱々しいながらも自分の足で歩いていたのに、病は徐々に悪くなってきていると感じて怖くなりました。そして診察後の恒例の昼食。この時は食欲もなく病院のレストランでほんの少しうどんを食べたくらいだったそうです。余命は宣告されているとはいえ、少しずつ進行しているのを感じて怖かっただろうな

そしてそれからは、通院は無理だという判断で3週間に一度の病院通いをやめて、在宅での往診をしてもらう為、近くのお医者さんに紹介状を書いてもらいました。要介護認定もしてもらいヘルパーさん、訪問看護婦さんのお力も借りました。この方々のは、本当によくしてもらいました。そうして家族のいる家で父は過ごしていました。ようやくコロナも潜伏期間を十分に過ぎた頃、父を見舞いに実家に顔を出しました。その頃父はまだしゃべれたので「もう治ったんか?」と聞きました。「もう治ったよ。お父さん、何か欲しいものないか?」と聞くと「お前に買ってもらうもんなんかねーわ」と言っていました。😂「んじゃぁ、また来るね」そんな会話でその日は帰途につきました。

それからはもう病院に連れて行くことがなかった為、1ヶ月ちょっと顔を出さないうちに父はかなり状態が悪くなってきたらしく、弟から「あんまり良くないから顔を見に来てやってくれ」とラインが来ました。まさかの進行状態に驚きすぐに次の休みに実家に。その時はもう寝たきりで喋ることもできないようでした。それから程なくして、父は亡くなりました。前日の夜遅くまで弟、甥っ子、姪っ子、私、母が、父のベッドの周りでマックを食べながらたわいもない話を夜遅くまでしていて、10時過ぎに私は家に帰りました。このまま帰ったら、もう生きては会えないかな・・・と思いながら。父の顔に手を当てて「お父さん、また来るね」・・・それが生きている父に会った最後でした。

親が子供に出来る、最後の教育。。。

つくづく親ってすごいなぁ・・・って思います。私が小さかった時の、若くてなんでも出来て強い姿から、最後は病に倒れ弱って小さくなって去り行く姿まで、子供に見せて逝くのですから。自分の身を通して、子供に人生を教えるのです人生は無限じゃないよ。誰でも最後は死んでゆくんだよ。だから後悔のないように生きなさい‥と。

父はよく「お前は偉いなぁ。偉い。ようやってる。」と、シングルマザーで、トリプルワークで子供を養う私を褒めてくれました。そんな父の死を通して自分のこれからの人生のことを考えるようになりました。なんせ今までは子供のことばかりだったのですから。

父が紡いでくれた縁に感謝しながら、父に恥ずかしくないように。

天国で会った時に「よくやった。偉かったな」と言ってもらえるように、与えられた人生を精一杯全うして。まだまだ立ちはだかる目の前のことを、ひとつずつ越えていきます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました